はじめまして。
当ブログ『uranau』を運営するTinaと申します。
数あるブログの中からこのブログを見つけてくださり、ありがとうございます。
ここで出会えたのもなにかの縁。
一期一会♡
せっかくなので、私がこのブログを始めようと思った理由、聞いていきませんか?
もくじ
Tinaの自己紹介
まずは簡単な自己紹介から。
名前 | Tina |
性別 | 女性・既婚 |
ブログ歴 | 7年 |
趣味 | ブログ、読書、音楽鑑賞 |
SNS | Pinterest、Lemon8 |
早いものでブログ歴は7年になりました。
はじめに取りかかった育児ブログから数えると、この『uranau』は6つ目。
とにかく書くのが好きで、様々なジャンルに手を伸ばしては放置しての繰り返しです(笑)
物心ついてからこっち、コミュニケーションがうまくとれないことが最大のコンプレックスでした。
「場面緘黙症」という言葉をご存知でしょうか?
「ばめんかんもくしょう」と読む立派な不安症の一種なのですが、私は小学校から中学校にかけての9年間、この症状に悩まされました。
場面緘黙とは簡単に言うと、
「家では普通に話せるのに、学校などの特定の場面になると一言も喋れなくなる状態」
のこと。
この症状の残酷なところは、周りからの理解が得られないことにあります。
たとえば、息をすることって当然の事じゃないですか?
生きるために必要だから、意識するしないにかかわらずみんな当たり前にやっています。
そして、言葉を使ってコミュニケーションを取るということも、通常の認識からいったら、生命活動をする上では当たり前の事。
だから、一言も言葉を発さない人間がいることは「純粋な疑問」でしかありません。
そこに悪意はなく、単に疑問を解消したいというのが本音でしょう。
しかし、この疑問を投げかけられた緘黙児は途端に萎縮してしまうのです。
もう、何べんも何べんも投げかけられた問い。
「なんで喋らないの?」
まるで「喋らない」を選択しているかのようなニュアンス。
誤解してほしくないのは、ここに「悪」は1つも存在してないということ。
質問者は、
「喋らないのって不便じゃない?どうしてそうすることにしたの?」
であって、
「喋らないのムカつく。あんたばかりずるい!」
ではないし、緘黙児は、
「本当は喋りたいし仲間とワイワイ楽しみたい。でも喋ることで注目されることが怖い」
であって、
「あなたたちに興味がないから喋る必要ないのよ!」
ではないんですよね…。
こういう経験ばかりしていると、いつしか「自分はみんなと同じことができない人間」「人より劣っている人間」という考えになっていきます。
時間が解決してくれるとか、大人になったら自然に治るというのは誤解で、寛解している人のほとんどは、「相当の勇気を振り絞って克服している」ということを申し添えておきます。
心が形成されるときに「劣等感」や「ネガティブ感情」「自責思考」がベーシックになってしまったがために、その後の人生も心からなにかを楽しむということができなくなっていました。
頭の中ではいつもこんな声が響いています。
幸せになっちゃダメ。あんた、もしその幸せが壊れたらどうするの?反動に耐えられる自信あるの?あんたの選択はいつだって間違ってるでしょ?意見なんて持っちゃダメよ。もう少し慎重にならなきゃ。
私はこの声に従うしかなかったのですが、本心は違うんですよね。
心から人生を楽しみたいし、腹の底から大笑いしてみたい。
けれど、頭の中の声は強烈で、逆らうことなんて到底無理。
場面緘黙は克服しても、心は次第にむしばまれていき、気が付くとうつ病や強迫観念を発症していました。
思い出して文字にするのもつらいほど。
強迫観念に関しては「薬の副作用」だったのではないかと思っています。
以下の記事でも少し触れているので、興味のある人は読んでみてください。
このように10~20代前半まではメンタルの不調に悩まされっぱなしでした。
ところが、結婚をしたことで私の人生は良い方に流れていくようになります。
行き過ぎた心配性で旦那さんを呆れさせることはあったけどね。
やがて待望の第一子にも恵まれ、様々なマイナートラブルに見舞われながらも無事出産日までこぎつけることができました。
しかし!
ここに人生最大の大波乱が待ち受けていたんですねぇ…。
なんとなんと。
出産後の胎盤処理がうまくいかずに大量出血
↓
緊急手術
↓
生死の境をさまよう
死ぬか子宮を摘出するかの二者択一、摘出に成功しても命が助かる保証はない、という状況だったらしいです。
しかし、運よく子宮は元に戻り、運よく私も生き永らえました。
そして麻酔が切れて目を覚ました時、私は不思議な体験をすることになるのです。
ふと病室を見回すと、透明なアメーバのような人型がズラーッと私を取り囲んでいました。
頭も視界もまだフラフラだったためか、その不可思議な存在に対して怖れの感情はなく、傍らの夫に、
「なんでこんなに人いるの?この人たちだれ?」
と冷静に問いかけていました。
目を覚まして開口一番に言う台詞じゃないwww。
もちろん、病室にいたのは私と夫だけ。
夫は私の生還を喜ぶよりも先に、見えない人たちに取り囲まれているという妻の爆弾発言に怯えることに。
あとで看護師にこの話をしたところ、
「麻酔の影響で幻覚を見たのかな?」
とのこと。
しかし、このあと私はまどろみの中で存在の分からない誰かと会話もしています。
正確には「会話」ではないのですが、なんと表現したらいいのでしょうか?
とにかく、得体のしれない「存在」らしきものが病室全体に満たされていて、なにかのメッセージを伝えているんです。
でもそれは明確な「言葉」ではないし、意識体としての私の理解が及ぶものではないんです。
けれど、なぜか私はうなずいているし、「了解!」「大丈夫!」みたいな声を出しているんですよね…。
そして、その声を聞いて、
「え?なにが大丈夫なの?ちょっと!なんか得体のしれないものと変な口約束してない?!怖いんだけど…」
と不安におののいている私もいるという。
もう不思議すぎてなんとも言えません(笑)
当時は分からなかったのですが、もしかするとこのときの「会話のようなもの」は、潜在意識の中で行われていたのかもしれません。
メッセージの内容も、メッセージを送ってきたのが誰なのかも分からないけど、「大丈夫!」って私が言っていたのは確かだから、きっと大丈夫なんだろう…(不安)。
人生を楽しむ覚悟を決める
その後は育児のバタバタで、このときの体験を深く考えることもなく過ごしていました。
しかし、ひとつだけ印象に残っている数字があって、それが常に頭の片隅に居座っていました。
その数字とは「10」。
自分が「了解!」「大丈夫!」と声に出した何かのメッセージに、10という数字が関係しているようなこの感覚。
10、10、10年?10歳?10個?
なんだろう、いったい私は何を承諾したんだろう…。
子供が大きくなって手がかからなくなると、この「10」のことばかり考えるようになりました。
そして私が導き出した答えがこれ。
「あなたの寿命、本当はここで終わりのはずなんだけど、特別に10年延ばしておきました~!大丈夫ですか?」
「了解!」「大丈夫!」
あっ…。
絶対これじゃん。
絶望的に、絶対これじゃんよ…
それからの私、どうなったと思います?
子供も健やかに育っているし、夫も優しい。
申し分のない幸せ家族です。
しかし、そこからそれるように私は「厭世観」にどっぷり浸かり、やることと言ったら「自分がいなくなったあとの想像」ばかり。
そして、「本当はあの時消えてたはずなのに10年引きのばしてもらったんだから、文句は言えないな」というあきらめの境地でした。
しかし、絶対これじゃんと思っていた10年は何事もなく過ぎていきました。
「厭世観」「諦めの境地」にいた私。
考えてみれば、場面緘黙に苦しんでいたあの頃からずっと「厭世観」は私の中にあって、生きるありがたみを知らず、知ろうともせず、なんとな~く気が付いたら人生が終わっていたらいいなとさえ思っていました。
それがです。
10年が無事すぎたとき、心の底から「生きていることに感謝」している自分がいました。
私の中から自然と「ありがとう」という感謝の気持ちがあふれ出し、そこにあるのは「安堵」「安らぎ」というあったかい気持ちだったのです。
私の傍らには愛すべき小さな娘がいて、すぐに落ち込んでしまう私を笑わせることしか考えていない面白い夫がいる。
このかけがえのないつながり。
10年という区切りを意識したことで、私は自分がどんなに幸せであるかを実感することができたのでした。
そこからはもう、この人生は「有難い」特別なものと思えるようになり、コミュニケーションで苦しんだことも、こうしてブログに出会えたことも、意味のあることだったんだと思えるようになりました。
とはいえ、根がネガティブなのでちょっとしたことですぐ落ち込んでしまうし、自分を責めて一日が終わるということは日常茶飯事。
人生の前半、あんなに苦しんだのに、私いまだに同じこと繰り返してる…。
このまま行ったら10年後も20年後もこの思考のまま、なんにも変わらず行くことになるんだろうな。
変わりたいのに変われないもどかしさ。
ところが、「このままじゃ絶対ダメ!変わらなきゃ!」と強く思うことになるある出来事が起こります。
それが、マイホーム購入による環境の変化です。
今までのアパート暮らしの気楽さから一変、ご近所付き合いや自治会活動という経験したことのないストレスがのしかかってくるようになりました。
元緘黙児のコミュ障主婦にはかなり過酷。
環境の変化によるストレスは夫も子供も一緒なのに、サポートする心の余裕もなく、ただひたすら「逃げる」ことだけを考えているんです。
「この状態、ちょっとやばいかも…」
一度うつ病を経験しているので、この心理状態が続くことには相当の危機感を覚えました。
なんとかしなきゃ…。
意味もなく沈み込んだり無気力感にとらわれる中、私は以前読んで心を動かされたある本を本棚から引っ張り出していました。
その本とは、佐藤富雄さんの『100万人の口ぐせ理論・いい「口ぐせ」はいい人生をつくる』です。
この本に関してはこちらの記事で解説しているのでここでは触れませんが、久々に読んだ「口ぐせ理論」がきっかけとなり、そこから引き寄せの法則や波動の法則、宇宙の法則というものを知っていくことになります。
このブログにたどり着いたあなたならすでにご存知かと思いますが、引き寄せの法則を使って良い引き寄せを行うには、良い感情、つまり物事をポジティブに捉える土台が大切だと言われています。
このころには、
「人生の後半は絶対楽しいものにしてやる!」
という決意が強かったので、私なりに引き寄せの法則や波動の法則を勉強しまくりました。
そして、この感情を定着させるために手っ取り早いのは、大好きなブログに綴っていくことなんだ!となりまして。
かな~り、前置きが長くなりましたがこれが私がこのブログを始めた理由です。
人生は希望に満ち溢れている
このブログで「引き寄せ実験」をやったところから、私の人生はみるみる良い方に転がっていくようになりました。
願いが叶いやすくなったことはもちろん、一番大きな変化は視野が広がったこと。
幸せな人生になる鍵はまさにこの「視野」にあるということを身を持って知りました。
引き寄せや自己啓発で言われる「潜在意識の活用」。
寝入り端の顕在意識から潜在意識に切り替わるときに願望実現をイメージするといいとか、自分の弱点を受け入れることで潜在意識が書き換わるという、わりとメジャーな方法がありますが、その根幹をしっかり理解しないことには、うまくいくはずのこともうまくいかなくなってしまいます。
人材育成や教育現場で注目されている「メタ認知」をご存知でしょうか?
メタ認知のメタとは「高次」、つまり
「高次の視点を持って自分を客観的に把握する」能力という意味です。
このメタ認知能力がアップすると、
- 思い込みにより狭ばまっていた視野が広がる
- 感情をコントロールできるようになる
- 判断能力が上がる
- トラブルに冷静に対処できる
- 目標達成に向けてやるべきことが分かる
ようになると言われています。
しかしこのメタ認知、鍛えようとしてもなかなかうまくいかないんですよね。
だって自分の意識はこの体の中にあるんですよ?
どうやって意識を高次な位置に持っていけばいいんでしょう…
幽体離脱の技を身につけるしかない!
いえいえ。
幽体離脱をしなくても、実はちょっとした訓練でメタ認知能力は鍛えることができるんです。
これに関してはまた別の機会に記事にしていけたらと思います。
メタ認知能力を鍛えるのにおすすめの方法は、マインドフルネス瞑想の習慣化です!
こちらの記事が参考になるかと思います。ぜひ目を通してみてくださいね♪
メタ認知を鍛えて自分を客観視できるようになると、どんなときでも自分を肯定的に捉えられるようになります。
視野が狭いと、思い込みでついついネガティブ思考になっちゃうものね。
思考が前向きになっていくので、次第に潜在意識も書き変わっていきます。
ベストセラー書籍『1日3分願いが叶う超感謝ノート』の著者である心理カウンセラーmasaさんは、感謝ノートを習慣にして感謝体質を築くことで潜在意識を書き換えていく方法を紹介されていました。
あとは本当に引き寄せがスムーズになっていくので、ゲームをしているみたいに毎日が面白いことの連続ですよ!
さいごに
とまあ、こんな感じで私の人生は楽しいほうにシフトチェンジしました!
すべてはこのブログのおかげ。
場面緘黙やうつ病、強迫観念に苦しみ、日々の生活が苦痛でしかなかったのがウソみたいです。
こんな私でも変わることができたので、今現在悩みの渦中にいる人にも、私の書いた記事が役に立つのではないかと淡い期待を抱いています。
せっかくこの世に生を受けたなら、苦しみよりも楽しいほうを選択したほうがいいに決まっているんです。
どうして2択で苦痛のほうを選ぶ必要があるのでしょうか…
変わる覚悟さえあれば、あなたの未来はいつだってキラキラの光をたたえて待っていてくれます。
この記事は必要な人にだけ届けばいいと思っていたので、トップページの目立たないところに設置していました。
けれどあなたはたどり着いた。
そしてどういうわけか(笑)ここまで読み進めてしまった!
もう、この事実だけで何がが変わり始める予感がしませんか?